研修会の特徴とは
臨床矯正学の習得には、診断学を含め、治療技術の習得、加齢に伴う成長発育や老化の影響による咬合の変化、治療後の長期咬合の観察、他科との関わりなどのさまざまな知識と技術が要求されます。また、治療後の咬合の安定性の評価なしに治療成績を評価することができないことから多くの臨床経験を必要としています。したがって、短期間での修得が難しく、知識と技術を少しずつ積み上げ、新しい時代に呼応した臨床歯科矯正学を臨床に応用し、実践していく必要があります。本研修会では各自の到達目標に合わせて基礎知識、診断能力、治療技術を少しずつ身に付けていけるようにステップ・アップ方式を採用し、ノリッジ・スキルアップできるようにプログラムしています。
以下に本研修会の特徴、概要を記します。
1.コース特徴および概要
本研修会は、歯並びをphysical and emotional fitness and wellnessから捉え、患者さんの期待、要望を第一に考えた矯正臨床の実践を目指し、3つのコース(後述)から成り立っています。
診断では、NBM(Narrative-based Medicine)を診療指針とした患者中心主義(POS)の診断、治療計画立案を、また治療T(早期治療)では、上下顎第一大臼歯関係T級の優位性からFunctional
Appliance を主体としたGrowth modificationの意義や応用について詳解します。そしてSWA・治療U(Phase U、本格矯正治療)では、絶対固定を実現したTADs(特に、Mini-screw)をベースとした治療戦略をSWA発展型による治療術式によって論理的、かつ効率よく、効果的に個々の問題の改善、解決を図る手法を学ぶことになります。
以下、本研修会の大きな特徴を記します。
1) 矯正治療の意義、目的の見直し、患者中心主義へのシフト
1972年に Ackermanらが歯並びの悪いこと(一般に不正咬合と呼んでいる)は病気(disease)とは言えないとの考えを示し、それから半世紀になります。病気(disease)であれば、検査結果のデータを健常者の正常値(平均値、基準値)と比較し、これに近づけることの妥当性を見出すことはできます。しかし、病気(disease)でないのであれば、これは無意味です。
矯正治療は、これまで不正咬合を病気(disease)のように捉えて診断、治療計画を立案してきたと言えます。その代表的な例がセファロ分析です。セファロ分析をはじめとした標準値(平均値)を主体として治療戦略、治療戦術を繰り広げて患者さんの期待、要望を満たすことができるでしょうか。
矯正治療の意義をWHOの健康の定義から考え、矯正治療の目的を見直す必要があります。Angleの「Normal occlusion」(正常咬合)の概念以来、その目的を「虫歯、歯周疾患、あるいは顎関節症にならないため」あるいは不正咬合をまっすぐな歯並び、すなわち正常咬合にすることと言われてきました。しかし、そのような治療目的で矯正治療の正義(社会での矯正治療の本来持っている真価、長所)を貫くことができるのでしょうか。そのような大義名分を掲げ、歯並びの悪いことを疾患と関連づけて患者さんあるいはその保護者に無用な強迫観念を与えて矯正治療を勧めてきたと言っても過言ではありません。
気になる歯並びを無理に病気(疾患:disease & 病い:illness)とするのではなく、physical
and emotional wellness and fitness から捉え、その上で歯並びを心身の健康の回復、維持、改善のために治すと考える方が自然です。そのためには患者さんの抱えている問題の本質を患者さんの語り、物語から捉え、問題の解決、改善を図るNBM(Narrative-based
Medicine)を診療指針としてQOLの回復、向上に繋げる患者中心主義のPOS(問題志向型)診療の導入が不可欠です。
本研修の最大の目的はこのPOS の実践を目指していることです。
2) すべての資料の共有化
矯正治療は、伝統的に診断時に診断資料を患者さんへ提示し、情報を共有するのが世界スタンダードとなっています。したがって、資料提示は矯正臨床に携わるものには必須です。しかも、社会の多様化に伴い、その内容も多岐に渡り、患者さんの要望に応えるには、矯正治療の目的、ゴール、目標を踏まえた患者参画型のプレゼンテーションが必要不可欠です。そのためにデジタルを駆使し、デジタル化された情報共有は避けて通れません。
本研修では、PhotoshopとInDesignの代替ソフトのAffinity PhotoとAffinity Publisher を用いて資料作成、資料提供(治療予測を含め)の実際を学び、また検査・診断結果を文書化し、POSを実践する上での資料の共有化の徹底に努めます(希望者に補講の用意)。
3) 成長発育の知識とその臨床応用
成長発育は、臨床歯科矯正学の根底に流れ、この学問なくして矯正臨床はあり得ません。成長発育に関する発生学、解剖学、組織病理学、免疫学などの断片的な専門知識を統合し、その知識を臨床へ適用することにより診断、治療計画を論理的に立案することができます。また日々の技術的な治療行為の理論的根拠となります。その結果、初診相談から動的治療、そして保定処置、保定処置後の観察に至るまでの一連の矯正臨床に迷いのない、一貫性のある質の高い矯正臨床を提供することになります。
しかし、これは本研修でも越えなくてはならない最も高いハードルの一つです。特に、PhaseT(第一段階の治療)治療でのOrthopedicな装置による
Growth modification では、骨の発生から骨の外力応答性に至るまでの骨組織の理解とその知識は、治療戦略・治療戦術立案の要です。
本研修では、すべて遺伝によって決定付けられていた時代から Moss のFunctional Matrix Hypothesis、1970年代以降のPetrovicやRabieらの研究、その後のServosystem
theoryと呼ばれる考え方を詳解し、根拠ある確実な矯正臨床の実践を目指しています。
4) ハイブリッド型SWA;絶対固定(Mini-screw)とのコラボレーション
ストレートワイヤー装置がいかに精密かつ完成されたものであっても、装置の持つ特長が生かされる否かは、使う側の知識や技能によって決まると言えます。
また、本格矯正治療の治療戦略、治療戦術は、ミニスクリューによる絶対固定が容易、かつ確実に実施できるようになり大きく変わりました。Tweed 以来の固定の概念を中心として考えられた各種マルチブラケット装置やテクニックは意味をなさず、全く異なる力系システムが求められています。
1982年に日本で最初に .022x.028 のSWAを導入して以来、約40年に及ぶ独自のSWAの臨床経験を踏まえ、本研修では、絶対固定時代に呼応した治療目標を達成させるためのハイブリッド型SWAの構成、理論的根拠、手技を学び、ミニスクリューとSWAのコラボレーションを通してミニスクリュー併用の本格矯正治療の実効性、有効性を実感して頂く予定です。
5) 長期経過症例からの治療成績の評価
講演会、ネットや広告等に綺麗になったとする症例報告が散見されます。しかし、治療前の患者さんと共有された治療目標が改善されたのかについて言及されている報告はほとんど見ることはありません。単に治療前後を比べ綺麗になりましたとの報告です。また、改善された問題点が保定中、さらに保定後の状態、それも長期に渡って語られていることは稀です。アドバルーン的に治ったとしていることが多く、治療後、20年、30年と経過した治療成績、治療効果を評価している報告はあまりみることができません。
矯正治療は、動的治療後の治療成績のみならず、保定処置後の長期にわたる歯列、咬合の安定性が得られて始めてその良否が評価されるべきです。適正な評価を得るためには、診断学、治療学のみならず適切な指導者の下で多くの臨床経験を積むことが求められます。また、同時に沢山の長期経過症例を経験し、後戻りを含めた治療後の歯列・咬合の推移を評価して初めて真の矯正歯科臨床医と言えます。
本研修では、講師自らが初診から現在まで担当している長期経過症例(30、40年経過している症例)を通し、過去の診断法、治療方法、治療戦略、治療戦術などを振り返り、そこから学び取れる情報日々の臨床にフィードバックできるように詳解しています。
6) 徹底したフォロアップ
前述したように矯正臨床は、診断学を含め、治療技術の習得、成長発育や老化による咬合の変化、治療後の長期咬合の観察、他科との関わりなどのさまざまな知識と技術が要求されます。また、動的治療後の安定性の評価なしに治療評価は下せません。初診から長期保定までの一連の流れの中で矯正臨床を考える必要があり、断片的な知識、技術では患者さんのニーズに応えることはできません。生涯に渡っての研鑽が求められます。
本研修会では、リフレッシュコース、オープン参加、常時メールによる相談などを通し、研修終了後の矯正臨床をバックアップしています。さらに、個別のコンサルティングを新たに開設し、POSの実践に役立てて頂いています。
2.各コース概要
1)診断編の概要
NBM(Narrative-based Medicine)を診療指針とした問題志向型診断(POS)に基づいた治療戦略、治療戦術について詳細に解説します。この際、治療戦略を考える上で必要となる発生学や成長発育の学問、さらには顎運動機能についてのBiologicalな基礎知識について触れ、診断・治療方針と治療術式の理論的根拠を明確にし、治療戦略に一貫性が得られるように配慮しております。特に、治療戦略上、ステレオタイプ的なセファロ分析の臨床上位置付け、意義を考えながらPOS実践のためのプロブレムリスト作成、治療目標の設定、治療選択肢の導き方などに熟知して頂きます。
2)治療T編の概要
矯正治療の最終的な目標は、永久歯列における適正な歯列・咬合の獲得と言えます。したがって、乳歯列期や混合歯列期の早い時期に歯並びに問題が認められ、かつその問題の改善・解決が将来の永久歯咬合の育成にとって必要ならば、矯正治療の開始時期は早まります。一般的にこのような時期の治療は、早期治療Early
treatment あるいは第一期の矯正治療として捉えられています。
治療Tでは、診断編の6つの項目から析出された乳歯・混合歯列期の問題に対する治療戦略、治療戦術を取り上げます。矯正治療の目的である患者の生活の質の向上や健康志向型な生活を送ることは、早期治療でも同じです。そして、早期治療のゴールの一つは、永久歯咬合へ推移するまでの口腔環境の整備と言えます。
しかし、乳歯列期や混合歯列期の早い時期に動的治療が適用されると永久歯咬合完成まで、あるいはその後の本格矯正治療の適用まで矯正治療との長い関わりを持つことになります。これは、患者、患者の家族にとって経済的、精神的・心理的、そして物理的な負担になり得ます。どのような問題については早期に改善を図るのか、あるいは見合わせるのか、その判断が非常に難しいのが早期治療の特徴です。単に早ければ良いとする安易な考えで矯正治療を勧める、始めるのは決して好ましいことではありません。早期治療の優先順位の最も高い治療目標は、永久歯咬合完成時に左右の上下顎第一大臼歯がアングルT級に維持されていること、あるいはT級関係に改善されていることと考えられます。
本研修では、このことを踏まえ、Orthodonticな装置による歯槽性な歯の移動、あるいは、orthopedicな装置やFunctional Appliance
によるGrowth modificationの意義、その応用に多くの時間を割き、特に、Growth modification による顎の移動について詳解し、早期治療の難しさについて解説しています。
3)SWA・治療U編の概要
SWA・治療Uでは、永久歯咬合における本格矯正治療について触れます。本格矯正治療を展開していく中で掲げた治療目標を達成するための論理的かつ適正な手段・方法の選択、適用について患者の語り、物語に注目し(NBMを診療方針として)、患者のQOLを尊重した患者中心主義の矯正臨床を目指すことになります。
永久歯咬合が完成すると旺盛だった成長能は低下し、顎顔面、顎関節は成熟度を増し、上下顎の咬合関係は安定してきます。骨格的に問題の無い場合には、治療戦略は顔貌、あるいは歯や歯列素材に起因した問題が主体となりますが、付随してThree
planes of space にも問題を有していることが多く、その場合には従来の加強固定にとって替わる絶対固定であるMini-screwを適用して問題の解決に臨むことが多くなります。
一方、この時期に認められる骨格的な問題は、遺伝、先天性異常による特徴が顕在化した場合か、あるいは幼少期からの機能的な問題が機能マトリックスとして働き、形態的な問題として表面化したか、のいずれかです。
若年者(Young adult)では、残余成長能によって骨格的な問題が悪化する場合、一方、逆に残された外力応答性に期待し、Growth modificationにて骨格的問題の改善を図ることも可能な場合もあり、成人とは異なる対応が迫られます。
一方、成長能の望めない骨格的な問題のある場合には、外科矯正治療の適用とするのか、あるいはMini-screw併用によりカムフラージュするか、 POSによる治療戦略、治療戦術の詳細をAffinity
Photo による治療予測を含めて解説します。
なお、本研修の永久歯咬合を対象とした治療戦術では、治療目標達成のための手段、手法としてはマルチブラケット装置であるストレートワイヤー装置(SWA)を取りあげ、その適正な応用方法を解説しますが、装置がいかに精密かつ完成されたものであったとしても、装置の持つ特長が生かされる否かは、使う側の知識や技能によって決まると言っても過言ではありません。特にTADs(Temporary
Anchorage Devices)の概念が広く受け入れられ、特にミニスクリューが絶対固定を容易に、かつ確実に臨床応用できる手段として揺ぎ無い地位を築き、進化している時代に呼応したハイブリッド型のSWAの構成、理論的根拠を詳解しながら正しい知識と運用方法を紹介する予定です。